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ダイヤモンドヘッドビーチでロングボードに乗ったある夕方、両足をしこたまリーフで切った。マカプウビーチでボディボード中、波にもまれて砂まみれ、ついでに水着も半分さらわれた。見栄と根性で再び波に向かおうとしたが、「ほんの少しでも心に迷いがある時は、海に入らないほうがいい」海を知っているひとにそう言われ、あっさりと陸に上がった。 海に背を向けたあの日から数年後、カヌーに出会う。何が楽しいって、カヌーで波に乗るときと波に立ち向かうときの愉快さったらない。水しぶきを顔面に浴びながら、パドルで水を引っかいて、かき出す、この作業のえんえんたる繰り返しがなぜそんなに楽しいかというと、波のせい。海のコンディションを作る波、これ次第でただ「漕ぐ」という単純作業が、生命を賭けるリスキーな行為に変わり得るのだ。そんなことも知らずに、「サーフィンでは苦い思いをしたけれど、カヌーだったら船の上だしきっと安全」と思い込んだとき、またまた海にガツンとやられる。 カヌーを漕ぐと、避けて通れないのがHuli(フリ)。ロコフードの定番、フリフリチキンというトリの網焼きのごとく、6人乗り双胴カヌーは、大波の前にあっけなくフリ、ひっくり返る。ざぶーんと海に放り出されると、最初にすべきはひっくり返ったカヌーを元に戻すこと。しかし、大波が断続的に襲ってくる中で、重いカヌーを表に向け、海面にちらばったパドルを集め、カヌー内にたまった水をくみ出す作業を一瞬のうちに行うのは容易ではない。カヌービギナーばかりで漕いでいたある日、アラモアナビーチからあまり遠くない沖で波が高くなった。フリって海へ突き落とされた瞬間、海への恐怖心がよみがえった。それは、夢中になってカヌーを元に戻す間に、いつしか消えた。 フリを経験後も、頭を打ってはERに行き、足をざっくり切っては包帯を巻き、と生傷が絶えない。それらは心の準備があろうとなかろうと、突然やって来る。海に出るということは、突発事態に対処できるという自信を積み上げること。カヌーレースの前、「ちょっぴり不安」と思おうが否が、旗が振り下ろされればスタートするだけ。スタートすればゴールに向かって進むだけだ。わたしにとってのゴールとは、半マイル先のブイではなく、カヌーを通して海を知ること。ハワイ、ひいてはポリネシアの文化を学ぶこと。と言うと格好いいのだけど、カヌー文化についての本をひもとくようになったのは、つい最近のことだ。もともとポリネシアの人々が、イヌやココナツを載せ、はるばるとハワイの島までカヌーで航海したのが、ハワイに人類が住み始めた起源だという。現在、一度は失われた、星や鳥の動きを追って航路を読む伝統航海術を復興する動きがハワイに起こっている。こういうことも、実はまったく知らなかった。しかし、これからは、カヌーを通じて学んでいくと決めている。 サーファーガールにはなれなかったけれど、「カヌーガール」というアイデンティティは、今後ハワイで生活する上で、年月をかけ探求するに相応しい。
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