カノエ・ミラー/フラ・ダンサー
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「フラを踊るのは、他人と競うためではなく自分の生きる世界を表現するため」
「フラを始めたのは十三歳の時。三人の娘をフラ教室に通わせている間、母親は息抜きをしたかったみたい。姉妹の中でフラに魅了されたのは、結局私だけだった」と屈託なくフラを始めたきっかけを語るカノエ。フラの動き、チャントには意味があり、それらを理解し踊りで表現することがダンサーの使命だ。彼女は競技会で勝つフラではなく、自己表現としてのフラを師から学んだ。レッスンでは、ハワイ語の詩を英語に直すだけでなく、その内容を自分達の生活体験と関連づけて解釈し、皆の前で発表することが義務づけられた。ストーリーテラーとなるための、必要な修行だったと言える。
モデル業にキャリアを絞って間もなく、両親の強い勧めで応募したミス・コンテスト。地区予選を勝ち抜き、あっという間にミス・ハワイの座を勝ち取った。「ボーイフレンドに夢中になってた時期で、ミス・ハワイになれば忙しくなってデートどころじゃなくなろうだろうって両親は思ったらしいの」
両親の思惑通り、ミス・ハワイになったカノエの人生は変わった。各地に飛び回り、人に会い、モデルの地位も確立。日本へ親善大使として旅行する機会も何度もできた。後に知り合った夫との結婚生活も、二十七年間ずっと安定している。そのカノエが心から愛してやまない仕事はフラダンサー。彼女にとっての神聖な場所、ハレクラニでのパフォーマンスは、驚くべきことに三十年も続いている。
ハワイの大地を愛し、敬う気持ちを込めて踊ると言うカノエ・ミラー。しなやかに表情を作る指先の向こうに、刻々と色を変える空と海が続く。彼女とハワイの自然が見事に溶け合い、完全なる美の世界を創り出している。
【写真上】笑顔が美しいカノエ・ミラーさん
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ハレクラニホテルのビーチバー、「ハウス・ウィズアウト・ア・キー」のテラス席は、夕暮どきが最高。ダイヤモンドヘッドを眺めながらマイタイのグラスを傾けていると、艶やかなムームーに身を包んだカノエ・ミラーがステージに上がり、フラを披露してくれる。ドレスに合わせてまとうレイ、髪に挿したハイビスカスにも勝る優雅な動きと微笑み。1973年度のミス・ハワイが舞うフラに、観客はため息をもらす。
十代の頃、カノエは二つの夢を同時に追いかけていた。一つはフラダンサーになること、そしてもう一つはモデルになること。当時のトップモデル、ツィギーに憧れて、髪をショートに切り、濃いメイクでフラレッスン場に出向いては先生に叱られたと、当時を振り返って笑う。「フラを踊るなら、長い髪とナチュラルメイクは必須。フラも好きだったけど、モデルにもなりたかった。結局お叱りを何度も受けて、フラの先生から『もうレッスンに来なくていい』と言われちゃったの」
「この場所が好き。この海、この木、この空気が好きなの。ここはハワイ王朝ゆかりの、スペシャルな場所なのよ。世界中から集まるお客さんが心地よくリラックスされているのを、踊りながら感じるわ。フラを通じてストーリーを伝えるには、ここ以外の場所は考えられないの」